CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
RECOMMEND
UTOPIA最後の世界大戦
UTOPIA最後の世界大戦 (JUGEMレビュー »)
藤子・F・不二雄,藤子 不二雄A
RECOMMEND
オッス!トン子ちゃん [3巻セット]
オッス!トン子ちゃん [3巻セット] (JUGEMレビュー »)
タナカ カツキ
孤独こそ 人間が強烈に生きる バネだ!
孤独こそ 全人類と結びつき 宇宙にむかって
ひらいて いくんだ
RECOMMEND
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (JUGEMレビュー »)
伊藤 剛
手塚治虫=神という戦後日本漫画界の絶対的構図を否定し、漫画評論に新たな息吹をふきこんだ名著。漫画に明確な価値基準を求めた点で、いままでの漫画評論の本とは一線を画す。
RECOMMEND
汽車旅行―復刻版
汽車旅行―復刻版 (JUGEMレビュー »)
大城 のぼる
日本漫画表現史上大変重要な作品。著者は『火星探険』の大城のぼる。漫画表現において初めて『同一化技法』を使用したとされるエポックメイキングな漫画作品。もちろん単純に一つの作品と見ても、上質な絵本のように親子で楽しめる素敵な漫画。
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

昭和15年に発行され、戦前の幻の漫画作品といわれた、旭太郎(原作)大城のぼる(絵)の世界で初の長編SFストーリー漫画。
100%ORANGEや寺田順三、スドウピウ作品などカワイイ雑貨や絵本など好きな女性は(もちろん男性も)ぜひ騙されたと思ってこの「火星探険」を読んでみてください。
主人公、テン太郎くんのお供の猫のニヤン子、犬のピチクンが可愛くてたまりません!!
きっとあなたのお気に入りの一冊として、本棚に永遠に居続けることでしょう。
RECOMMEND
正チャンの冒険
正チャンの冒険 (JUGEMレビュー »)
織田 小星, 樺島 勝一
日本の漫画として、初めてコマ割とフキダシを使った画期的な作品。内容は幻想的なものが多く、バウケンカ(冒険家)の正チャンがお供のリス(名前もリス)と様々な場所を冒険するというもの。
「シッケイナ」byリス
「コノカボチャアタマメ」by正チャン
などと名ゼリフ多数。
愉快痛快な漫画です。
音読して読むと8倍くらい楽しめますので、音読をオススメします。
RECOMMEND
きょうの猫村さん 1
きょうの猫村さん 1 (JUGEMレビュー »)
ほし よりこ
日本漫画界において、ストーリーではなく表現形式によって漫画が差別化できる時代になったという、象徴的な作品。猫村さんの唄、そしてネコムライスが良い。
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
 
手塚前派による、漫画評論、及び活動日記
本家→手塚前派・http://tedukazenha.com/
アメリカンコミックの実写化と日本の漫画表現について(2)
Twitter(@uizama_kei)からの転載です。
 

ちなみにブログで、私なりの漫画の今後の展開を示唆したまま、更 新が止まっているのですが。あれは、アメコミ原作映画が当時(2006年くらい)よりガンガン増えて、漫画表現のアイデンティティの一つである映像化不可 能な表現がCGによっていとも容易く再現されてしまうだろう。と言う事でした
 

いまやアメコミ原作映画が上映ランキングの上位をかなり占める状態になってますから予測は完全に当たりましたね。
 

漫画家さんたちも、圧倒的なCG表現の前にデフォルメ等で対抗するしか手が無いように思います。もしくは最近試みられているのはWeb漫画の可能性の追求ですね。
 

荒唐無稽なイメージを漫画で楽しむといった事があまり出来なくなったし、またそういう作品も減りつつありますね。 これはハリウッド映画のCG表現に完璧に叩きのめされた状態だと私は思っています。


つまり漫画というジャンルはビジュアル面で完全にアイデンティティ・クライシスに陥ってしまっている状況だと私は感じています。
80年代に大友克洋がデフォルメの壁を超え漫画表現の可能性を広げたように見えて、実は漫画表現はリアリティへの袋小路へ迷い込んでいたのです。

その打開策は、ここには書きませんがいくつかあります。
その中の1つに私が提唱する手塚前派という漫画表現が1つの指標になることは間違いないでしょう。
またそれを提示していけたらと考えています。


なかなか作品を発表できない時期が続いていますが、来年には作品が発表出来そうです。
作業は孤独で忍耐力が必要でとても大変な時間がかかりますが、なんとか皆様の前にお披露目できたらと思っています。

自らの覚悟も含めて、ここにそれを記したいと思います。
その時はご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。

| 手塚前派的漫画評論 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
アメリカンコミックの実写化と日本の漫画表現について
ブログの更新が滞っていますが、以前私が『テヅカ・イズ・デッド』以降に言おうと思っていたことを書きます・

いわゆるアメリカン・コミックの映画化がもたらす日本の漫画への影響を予測していました。
実際、その時(2006年当時)に比べて色物扱いされていたアメコミ映画ですが『ダークナイト』をキッカケに完全に市民権を得て、観に行く層もマニアではなく一般層が普通に鑑賞する対象になっています。


私はこれを予見していました。

そしてハリウッドの圧倒的なCGによるコミック的な表現が完璧に近い程、スクリーンで再現された時、日本の漫画界はどのような反応を示すのか興味がありました。

CGの発展により、本来漫画が得意としていた荒唐無稽なイメージを映画で表現できるようになった現在。
日本の漫画家さん、漫画業界はどのような反応を見せるのでしょうか。

シナリオやテーマを掘り下げていく方向性も問題があるとおもいます。
何故なら、その点において漫画は映画業界の後追いであるからです。

であるならば、漫画業界において映画的な表現を突き進めるのは愚行と言えるでしょう、
| 手塚前派的漫画評論 | 02:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手塚前派的 漫画感想日記 4
汽車旅行―復刻版
汽車旅行―復刻版

第4回は『汽車旅行』です。

現在になって、日本漫画史上非常に重要な作品であることが再認識されている漫画です。

著者は前回紹介した『火星探険』と同じ、大城のぼる。
昭和16年12月に発行されていますので、『火星探険』から1年半後に出た、大城のぼる単独による書き下ろし単行本です。

『火星探険』の作者である旭太郎こと小熊秀雄は、すでに前年肺結核にて39歳の若さで亡くなっています。

元々、旭太郎こと小熊秀雄が中村書店に編集顧問として迎えられたのは理由がありました。

そこには『児童読物改善ニ関スル指示要綱』という内務省警保局から出された、少年少女雑誌に対する編集方針への通達があります。

日本が戦争へと突き進むなか「国体の大儀に則り敬神、忠孝の精神の高揚に努めること」という通達があり、中村書店は生き残る道としてプロレタリア文学の詩人小熊秀雄を編集顧問として迎え入れました。

(ポンチ絵と称される俗悪な本とされていた、漫画、特に中村書店のような駄菓子屋を基本の流通ルートとして持っている赤本を出版している版元にとって、権威ある文学作家を顧問に据えることで漫画の内容を内務省の意向に沿うものに替えることで生き残ろうとしたのです)

さて、そのようにして編集顧問となった小熊秀雄も肺結核で若くして亡くなってしまいます。
しかしながら、大城のぼる始め、中村書店の漫画家たちは小熊秀雄の死後もポンチ絵と呼ばれた以前の破天荒な作風から離れ、自然科学の知識を啓蒙する漫画作品を描き続けることになります。

そこに登場した漫画作品の一つが、今回紹介する

『汽車旅行』

というわけです。

『汽車旅行』のストーリー自体は単純です。
東京から京都まで、太郎とその父親が妹のミチ子を迎えに行く。それだけの内容です。
しかもページ数が160頁の予定が128頁に削られているため、京都までたどり着くまえの名古屋でお話は終わってしまっています。

ここまで読むと、『汽車旅行』って内務省の指導要項に沿って描いた、自然科学を啓蒙するためのたいしたことのない内容の漫画なのではないかと思われるかもしれません。

事実、『汽車旅行』の内容は東京駅から始まり、大阪行きの東海道本線に乗った親子が、途中通り過ぎる駅にまつわるためになる逸話を話しながら、開通されたばかりの東海道本線を紹介し、日本の科学技術の隆盛を読者に印象づけるというものになっています。

しかしながら、この『汽車旅行』が日本漫画史上非常に重要な作品とされている理由は、ここまで紹介した以外の部分にあるのです。

それは、コマ割りにあります。

みなさんが日本の漫画を他の国(例えばアメリカ)の漫画と比べるときに、そのアイデンティティとして語る場合、よく聞く言葉として「映画的なコマ割り」という表現を聞いたことがないでしょうか?

日本の漫画はアメリカンコミックやバンド・デシネなどに比べて、より映画的なコマ割りを多用しており、それはもはや常識といえるほど日本漫画の中に浸透していて、演出として効果的に使用されるまでにいたっています。

それを端的に表す言葉に「日本の漫画は読みやすい」という言葉があります。
逆にいえばそれは「アメリカンコミック、バンドデシネは読みにくい」という言葉の裏返しでもあるのです(最近は両者とも、日本の漫画の影響を色濃く受けていますので、そのことは単純に当てはまらなくなっていますが)。
もちろんそれが良いか悪いかというのはまったく別の話しですが。

そして、その映画的コマ割りというのを発明したのは手塚治虫であるという話を、みなさんは事実として聞かされた覚えがないでしょうか?
手塚治虫が戦後、赤本時代に発表した『新宝島』。この作品において、初めて映画的コマ割り(クローズアップ・俯瞰図等)を使用したというのが一般における漫画表現の歴史認識だと思われます。

しかしながら、最近になってこれが間違いだったのではないかという漫画史研究の流れが出てきています。

なぜなら、いま紹介している『汽車旅行』こそが日本漫画史上初めて本格的に映画的コマ割りをとりいれた先駆的作品だということが判明したからです。

技法的に詳しい説明は省きますが、争点とされた『同一化技法』という映画的コマ割りの使用があります。
これは手塚治虫が『新宝島』において漫画に導入した技法とされていましたが、実は『汽車旅行』の中にすでに登場しています。

小学館クリエイティブから出ている『汽車旅行・復刻版』における9頁2コマ目、3コマ目がそれにあたるのですが、簡単に説明すると『同一化技法』とは漫画の登場人物の視点と漫画を読んでいる読者の視点が同じものを見る。つまり『同一化』しているという技法のことです。

(この点については、次回紹介する予定の『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』に詳しく書かれています)

なぜ、このような誤解が生まれたかというと、第2次世界大戦による漫画世代の断絶という原因があります。
つまり戦後、戦前の漫画(特に開戦直前の)に親しんだことのない読者層が手塚治虫の『新宝島』を読んで、それをまったく新しい表現として体感してしまったことに原因があるようです。

手塚治虫自身は戦前にナカムラ漫画シリーズを愛読しており、のちに対談した大城のぼる氏に対して、本人ですら覚えていないような内容を事細かに話して、驚かせた程のナカムラ漫画のファンであったようです。

しかし『新宝島』をリアルタイムで体感した、藤子不二雄等に代表されるトキワ荘世代は、戦前のナカムラ漫画シリーズに親しんでおらず、手塚治虫の『新宝島』を日本漫画における映画的コマ割りのエポックメイキング的な作品と受け取ってしまい、それを後世に伝えてしまいました。

そのため、今日の日本漫画表現の歴史は、手塚治虫の『新宝島』が漫画に映画的コマ割りを導入した最初の作品であるということを既成事実としてしまったのです。

しかしながら、現在ではそれは誤解であったというのが日本漫画表現の歴史上の新しい流れとなりつつあります。

みなさんもぜひご自身の目で、『汽車旅行』を読んで確かめてみて下さい。

もちろんそのような日本漫画の表現の歴史という事を意識しなくても、
大城のぼるの巧みなコマ割り、コマ表現の使用はあなたに、あたかも昭和16年の東海道本線に本当に乗っているかのような疑似体験をもたらしますし、独特の柔らかで繊細な表現や、淡い色彩はノスタルジックな時代の空気をいまに伝えます。

『汽車旅行』は単純に一つの作品と見ても、上質な絵本のように親子で楽しめる素敵な漫画なのです。

<
| 手塚前派的漫画評論 | 17:40 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
手塚前派的 漫画感想日記 3
火星探険―復刻版
火星探険―復刻版

第3回は「火星探険」です。

昭和15年に発行され、戦前の幻の漫画作品といわれた大城のぼるの傑作漫画「火星探険」。
120Pの単行本で、世界初の長編SFストーリー漫画といわれています。

3段組みを基本としたオーソドックスなコマ割ですが、確かなデッサン力でディフォルメされたキャラクターは大変魅力的で、特に主人公のテン太郎のお供をする、猫のニヤン子と犬のピチクンは読まないと分からない殺人的な可愛さを持っています。

漫画史上でも大変重要な作品で、2005年にカラーで復刻されたことは極めて意義深いことです(それも装丁、紙質にいたるまで完全再現にこだわった素晴らしい出来。当時の箱入りを再現し、バーコードが印刷されたカバーをはずすと、中村書店が出版したままのオリジナルヴァージョンに早変わり!マニアも納得のいたれりつくせりの復刻です)。

私自身はこの「火星探険」の存在は「金魚屋書店出納帳」のヾでのエピソード「さらば火星よ」で知ったのですが、「火星探険」と同じく小学館クリエイティブから復刻された「漫画大博物館」に数カット「火星探険」の内容が紹介されているのを見て、「正チャンの冒険」出版以来、戦前漫画の魅力にとりつかれていた私は他の戦前漫画の魅力にも圧倒されながらも、大城のぼる氏の作品のポピュラリティーにグイグイ惹き込まれていったのでした。

そんなおりです、出版社の方から、大城のぼるの「火星探険」と「汽車旅行」(汽車旅行についてはまた、次回書く予定です)の復刻が決まったと連絡があったのは。本当にその場で小躍りしたくらい喜びましたよ。まさか幻の「火星探険」が読めるとは思っていませんでしたからね。

そして「火星探険」が復刻され書店に搬入されたときの感動といったら、気絶するかと思いましたよ。
箱からソッと丁寧に取り出し、ザラリとした質感をも再現されたカバーをめくり、1ページ、1ページをゆっくりと噛み締めるように読み進めました。
原作の旭太郎氏は小熊秀雄としてプロレタリア文学でも名をはせた人物。
当時の粗悪な赤本と呼ばれる、漫画本に対しての世間の評価はポンチ絵という蔑称を与えられるくらい評価の低いものでした。
しかしながら旭太郎は少年少女のために真剣に漫画に、「火星探険」に取り組んだのです。
大城のぼる氏もその心意気にこたえ、戦前とは思えないオシャレでカラフルでポップでキッチュな世界を描き出しました。

この作品はもちろん漫画マニア、漫画家を志す人、漫画好きの人は絶対に読むべき作品だと思います。
が、なにより戦前の日本にこのような色鮮やかな漫画作品があったということを知って、ぜひ読んでほしいのは、100%ORANGE、寺田順三、スドウピウなどの作品を好むような若い女性の方々だと思うのです。
若干本の値段が高いように思えますが、復刻以前は数万円以上出さなければ読めなかった作品なのです。手に入れれば一生の宝物として読み続けることができる作品ですから、むしろこの値段はお買い得としか言いようがありません。カワイイもの好きならば絶対読むべきマストアイテムなのです!

昭和レトロがちょっとブームになったとき(今も3丁目の夕日などが人気ですね)戦前の「火星探険」などの漫画、特にナカムラ漫画シリーズとよばれる、単行本書き下ろし長編漫画が復刻されているのにもかかわらず、なぜか置き去りにされているような気がしてなりません。世界にも類をみないこの中村書店の長編単行本漫画シリーズは、現代においてもまったく古さを感じさせません。

カワイイ雑貨や、絵本。そういうものが好きな女性は(もちろん男性も!)ぜひ騙されたと思ってこの「火星探険」を読んでみてください。本当に驚きますよ!

(現在アマゾンでは在庫切れになっているようですが、他の大型書店なら定価で入手できるはずです、欲しいかたはお早めに!)

当時、飾っていたPOP
| 手塚前派的漫画評論 | 04:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手塚前派的 漫画感想日記 2
正チャンの冒険
正チャンの冒険

第2回は「正チャンの冒険」です。

この漫画は、私が手塚前派を始めるキッカケになった漫画です。

出会いは、書店で働いているときのことでした。
書店の本の入荷のシステムというのは、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、同じ漫画(本)でも、雑誌、書籍、ムックといくつかの種類があり、その種類ごとに発売日に入荷してくるタイミングが違ったりします。

基本的に雑誌扱いの漫画(本)は(週間漫画雑誌や、月間漫画雑誌はもちろんのこと、ジャンプコミックスなどの新書サイズの漫画も雑誌扱いです)、発売日の前日の夕方に入荷します。そして、次の日の朝、店の開店前に商品を入れ替えるのです。

ムックについては、今回省きますが、「正チャンの冒険」は書籍扱いでしたので、発売日当日の午後2時頃に、新刊として入荷してきたのです。

書店員というのは、その人それぞれの好みというのもありますし、次の月の新刊の入荷数を各担当ごとにチェックして、決定していますが、自分の担当棚以外の商品には結構無関心な人もいます。

ましてや「正チャンの冒険」のような書籍扱いの漫画はヘタをすれば、仕入課の判断によっては、漫画のコーナーではなく、児童書のコーナーへまわされてしまう可能性もあるのです。

前おきが長くなりました。
つまり、その日私は「正チャンの冒険」と初めて出会ったわけです。

そのときの周囲の同僚の反応は、いまでも鮮明に覚えています。「正チャンの冒険」の表紙のイメージを見てもらえば、わかると思いますが、エルジュの「タンタン」に似ています(ちなみに「正チャンの冒険」連載が始まったのは1923年、「タンタン」は1929年からの連載ですから、「正チャンの冒険」は「タンタン」の模倣ではありません)。ですから自然と皆「この漫画、エルジュのタンタンに似てるね」とか「昔の日本人がタンタンの真似をして描いた漫画じゃないの?」言われ「こんなの売れるわけないよね(笑)」と早々にレッテルを貼られてしまいました。

「正チャンの冒険」のような漫画とも児童書ともとれない微妙な位置にある本は、もちろんコミック発売一覧表には載りませんから、入荷してきた数は取り次ぎが決定した10冊のみ。

このように書店員の判断によって売られるか、売られないかというその本の運命が決まります(漫画はとくにその傾向が強いです)。ヘタをすれば、担当者によっては、棚に1冊挿して、残りの9冊は即日返品ということすらありえるのです。

しかし、そのときの私は愛蔵版の棚担当者だったので、入荷してきた「正チャンの冒険」を手にとりました。そして表紙を見て、なにか強烈に惹きつけられるものを感じ、本を開いて中をパラパラとめくってみたのです。
(書店の担当者によっては、興味が惹かれなければ、商品の中身の確認もせずパックして店頭に出すことなんて、日常茶飯事です。書店員は一般に思われているよりずっと忙しい仕事ですから、それは、しかたのない一面もあります。全ての商品の中を完璧にチェックしている時間などありませんからね)

「正チャンの冒険」の中を見た私はその瞬間、衝撃を受けました。
センスオブワンダーがあふれでる紙面、抑え目ながらも鮮やかなカラー、想像力を刺激する不思議な話の数々、そしてユーモアに溢れる登場人物たち。

「なんだ!?この漫画!!スゴイじゃないか!」
しかも、解説を読むとこれは大正時代の漫画で、コマ割、フキダシを使った日本で初めての漫画だとも書いてあるのです。
「た、大正!?そのころの日本にこんなにモダンな漫画があったのか!!スゴイ!!スゴイ!!!」
一人で興奮する私。
「これスゴイですよ!」と他の同僚に話すも、
「ふ〜ん」
「そんなの売れないんじゃない?」
と気のない返事。

でも私は、この漫画は絶対売れる!となにか根拠のない予感に、つき動かされていました。

正直言いますと、その頃の私は日本の漫画が大嫌いでしたし、一般的に言われている、手塚治虫以降の記号論を盲信し、漫画の面白さの核をストーリーばかりにしか対象に見ない(自称)漫画好きという輩も大嫌いでした。

アメリカのウィンザー・マッケイやジェフ・ダロウのような、圧倒的な画力で魅せる漫画が好きだったのです。

しかし「正チャンの冒険」はそんな私の日本漫画に対するコンプレックスを一瞬にして吹き飛ばしてくれました。

日本は漫画大国だと声高に叫び、鳥獣戯画に始まった漫画は日本の文化だ(鳥獣戯画については明治時代に国策として漫画の元祖とされた疑いがアリ)、といいつつディズニーアニメを手本として始まった手塚治虫を漫画の神とたたえ、それ以前の大正、昭和初期の戦前にあった漫画文化を振り返りもせず、ただただ似通った漫画を量産し続ける日本の漫画シーンにうんざりしていた私は「正チャンの冒険」にひとすじの光明を見いだしたのでした。

日本は戦前にもこんな素晴らしい漫画作品を作っていた!
日本の漫画は、なにも知りもしない日本政府がうわべだけで「漫画は日本の文化です」などというウソッパチのものじゃなく、本当に世界に誇れる文化だったんだと、目からウロコがボロ、ボロ、ボロ、ボロ、ボロ、ボロ、ボロこぼれ落ちたのでした。

そして私はこの「正チャンの冒険」は絶対に売らなければならない!このまま埋もれさせてはいけない!と思い、さっそく自分の担当の棚に平積みしてその日自分用に1冊買って帰り、翌日POPを書きオススメ商品にしました。

最初の頃こそ、あまり反応はありませんでしたが、徐々に徐々に売れ始めました(出版社による、営業や広告の効果も、もちろんあったと思います)。

そして、私はこの書店を辞めるまでに(雇用期間が決まっていたので、あと2年程で辞めなければいけないことは分かっていました)、この本を100冊絶対に売る!それまでにこの「正チャンの冒険」をオススメ商品から外さないと決めたのでした。

その後、諸事情があって予定より早くその書店を退職することになったのですが、
そのときには「正チャンの冒険」の売上は97冊にまでなっていました。

(97冊というと少ないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、金額で計算するとジャンプコミックスが1冊本体価格390円ですから、1800円の「正チャンの冒険」は新書版漫画サイズのコミックス447冊分の売上になったのです。私の勤めていた規模の書店ではジャンプコミックの中の上ヒットクラスの売上でした)

その後、その書店を退職してしばらくたった頃、「正チャンの冒険」を出版した小学館クリエイティブの方からその書店での「正チャンの冒険」の売上がついに100冊になったという連絡をいただきました(これは日本一の売上だそうです)。

このときほど、書店員をやってよかったと思った瞬間はありませんでした。

日本の漫画で初めてコマ割りとフキダシを使った「正チャンの冒険」という歴史に埋もれていた名作を、私ができる範囲のことで最大限に甦らせることができたのではないかと感じました。

「正チャンの冒険」公式サイト

当時、最初に飾っていたPOP


| 手塚前派的漫画評論 | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手塚前派的 漫画感想日記
きょうの猫村さん
きょうの猫村さん

記念すべき第一回は「きょうの猫村さん」です。

手塚前派的漫画感想日記は感想と書いてはいますが、
同人漫画サークル手塚前派の漫画理念にのっとって漫画の批評をしていこうというものです。

さて、いまや国民的人気に迫る勢いの猫村さんですが、現場(書店)にいたときに発売日に即買いました。ネットでの連載は知らなかったので一目ぼれというやつです。
そのときは次の日に職場の人間に勧めても、あまり反応はありませんでしたが…。

その後、猫村さんは朝日新聞の書評に載ったりしてブレイクしますが、私が「一目ぼれ」した理由は一般的に論じられている猫村さんの魅力とはちょっと違った観点からでした。

猫村さんのキャラクター自体は確かにとても魅力的なのですが、実際に読んでみると最初の数ページのつかみはいいけど、中盤になると猫版市原悦子の傾向が強くなりすぎて話の密度が濃くなって少し読むのに疲れてしまいます。ストーリーも、もうちょっと方向性をほのぼのした話に持っていけば猫村さんのキャラクターにあった展開になったのではと、残念に思いました。

しかしながら猫村さんはそれでも、私を惹きつけます。それは何故か?私はその答えはいままでの漫画には感じられない紙面(画面)の雰囲気があるからではないだろうかと考えます。猫村評でよくある、癒し系とかなごみ系とか、そういうものを生み出す雰囲気が猫村人気の根本にあるのではないかと思うのです。

私が猫村さんに見た違った観点というのはこの点なのです。
では何故、猫村さんには紙面からあのような癒しの波動が出て来ているのでしょうか?
私が推測するに、その答えは、「きょうの猫村さん」が鉛筆によって描かれている漫画だということだったのです。

日本の漫画というのは、黒一色で、それもペンで描かれているものがほとんどで、漫画=墨とペンというのがお約束のようになっているところがあります。

が、それは昔の印刷の技術の悪さや、週刊誌などの紙の質の悪さなどの関係で培われてきた技術であって、印刷技術が向上した今、ネットや単行本で発表されることを前提にした漫画は別に墨とペンにこだわる必要はないわけです。
鉛筆で描かれることによって、ほんわかした雰囲気が表現され、それが絶妙に猫村さんというキャラクターとマッチングしている。それこそが猫村さんという漫画の魅力の核の部分なのではないでしょうか、もし猫村さんが墨とペンによって描かれていたら、私自身はなんの興味も惹かれなかったし、ここまでこの漫画が売れることもなかったのではないかと思います。

私がやっている手塚前派という漫画サークルの理念、それに近いものを「きょうの猫村さん」にも感じたのです。
表現が墨とペンという画一的なものであるならストーリーで差別化するというのが手塚治虫さんのおしすすめたストーリー漫画の基本的な概念であり、いまの日本の漫画の基礎になっているとすれば、猫村さんはそのコマ割りの単純さからいっても、どちらかというと戦前の漫画に近い印象を受けるのです。

そしてこの作品のヒットは、日本の漫画界においてもっと重要視されるべき事件なのではないかと私は考えます。市場のニーズは長くて(途中から読むには)気負いの必要なストーリー重視の長編漫画だけではなく、猫村さんのような新しい紙面(画面)の雰囲気を持った、単行本一冊分くらいの短編漫画を求めているような気がするのです。

「きょうの猫村さん」はストーリーではなく表現形式によって漫画が差別化できる時代になったという、象徴のような作品ではないかと私は考えます。
| 手塚前派的漫画評論 | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |