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手塚前派による、漫画評論、及び活動日記
本家→手塚前派・http://tedukazenha.com/
手塚治虫と私
そして私は東京の大型書店で働くことになった。

ある日のこと。

大量の新刊を開店前に棚出ししながら、私はたまたま、同僚の男女2人に問い掛けたことがあった。(2人とも漫画好きであり、また実際漫画をよく読んでいて詳しかった)

「漫画って絵ですよね?」
 
瞬時に答えが返ってきた。

「え?違うよ漫画はお話だよ」
「なにいってるんですか!漫画は話ですよ!!」

なにやら若干の憤りを含んで、私に投げつけられた言葉。

実はこのようなやりとりは、アンチ手塚治虫という立場をとってきた生きてきた私にとって、何度か遭遇したことのある場面だった。漫画をよく読んでいるという人ほど上に書いたような反応をすることが多い。

今、もし私がその人達に極端な言い方で、返答するならば、

「お話を楽しみたいのならば小説を読めばいいのじゃないだろうか?」

という事だ。

絵が象形化し、究極的に記号化したのが文字である。だとしたら手塚治虫が提案した漫画記号論が行き着く先は小説であったとしてもおかしくはない。
(現状、ライトノベルなどは漫画に変わり、手軽にお話を楽しむメディアという役割りを果たし始めている)

話を楽しみたいのなら、小説の方が漫画よりページ数が多くてボリュームがあるし、コストパフォーマンス高いからそちらの方がお得なのに、なぜあえて漫画を読むのか?

そして漫画をよく読んでいるという人たちは、(そういう人たちは大抵、手塚治虫の漫画も欠かさず読んでいることが多いのだが)何故、頑なに『お話』=『ストーリー』を漫画を読む上での絶対的優位に置くのか?

漫画にとって最も重要な要素が、お話であるということを論拠に立ってしまっては、その答えは見えてこない。

このような些細なやりとりを何度か繰り返すうちに、私は日本の漫画界が、手塚治虫=神という構図を生み出すことによって作り出してしまった、非常に根深い問題に気付きはじめていた。

続く。
| 手塚治虫と私 | 04:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手塚治虫と私
手塚治虫

日本漫画界における絶対的な巨星。
漫画の神。
その漫画は、どこの図書館にも必ず置いてあるほどの権威ある漫画家。

幼い頃に手塚漫画によってうけた私のトラウマはそうとうに重かった。

その後、
親が知り合いから、火の鳥を全巻借りてきたものを与えられたので読んだ。
小学3〜4年生くらいだったと思うが、
読後感は同じものだった。

絶望。

その二文字が、私が手塚治虫の漫画から受けるもの全てだった。

私は手塚治虫を避け続けた。
手塚治虫以外の漫画家が描いた漫画をたくさん読んだ。
しかしながら、漫画を読めば読むほど、端々に手塚治虫の名前が亡霊のように現れるのだ。

神。

それが彼に与えられた呼び名だった。

神とは絶対的な存在。不可侵の者。
その呼び名通り、その当時、彼に対する批判は許されぬムードがあった。
(この事は、1989年に手塚治虫が没したことが少なからず関係していると思われる)

手塚漫画は漫画読みが到達すべきピラミッドの頂点であり、戦後日本が築き上げた漫画文化の象徴だった。

「手塚治虫が嫌い」

そういう発言をすると不思議な目で見られた。

漫画が好き。だけど手塚治虫は嫌い。
まるで非国民であるかのような扱い。
漫画読みとしてのマイノリティーを意識しはじめた。

そして十数年後。

アンチ手塚は二十歳を超え、東京へ出て行くことになる。

続く。
| 手塚治虫と私 | 03:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
手塚治虫と私
手塚前派的 漫画感想日記イ箸靴董
『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』の感想を書く予定だったのですが、非常に共感する部分が多かったので、まずは何故私が手塚前派という構想に至ったかという事を簡単に書き記しておきたいと思います。

・手塚治虫との出会い 1987年

はっきりと覚えている。それは私が小学2年生のときのことだった。
近所の町内図書館のような場所に本を借りに行き、ふと目に付いた『火の鳥 鳳凰編』を手にとった瞬間。
それが私と手塚漫画とのファーストコンタクトであった。

それまでの私の手塚治虫が描く漫画に関する知識といえば、
ディズニータッチの愉快で陽気な漫画という認識しかなく、
『火の鳥 鳳凰編』を手にとったのも、当時ファミコンのゲームで同名のタイトルのものが出ていたということがきっかけだった。

幼いながらも手塚治虫というビックネームを充分に意識していた私は、
これは氏の代表作であり、そうとうに面白い作品に違いないという確信をもって『火の鳥 鳳凰編』を借りた。


そして数時間後……


私はひどい吐き気にみまわれていた。

明るく健全なイメージを期待して読んだ『火の鳥 鳳凰編』に描かれていたのは、差別、殺人、強姦、嫉妬、虚無、そして生命の無意味さだった。

それが劇画タッチの漫画であったら、まだどれだけマシであったことか。

手塚治虫のディズニータッチによって描かれるそれは、壮絶なギャップを伴ってその威力を何倍にも拡大し襲いかかってきたのだ。
十代にも満たない私にとって、それはもはや暴力以外の何者でもなかった。
幼い私の脳みそは、その混沌とした状況に対応することすらできず、
ただ、劇中の主人公である我王によって叫ばれる

「生きる?死ぬ?それがなんだというんだ」

「宇宙の中に人生など いっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!」

という絶望的なセリフをただ脳内でリフレインしつづけるという状況に陥った。

私はそれを一旦、自身の選択の間違いとした。

『火の鳥 鳳凰編』が特別暗い漫画だったのだ、それ以外の手塚作品はイメージ通りの愉快痛快な漫画に違いないと…。

そしてある時テレビで『鉄腕アトム』のスペシャル版のような番組が放映された。
もうこまかい話しは忘れたが、そのラストでアトムがどうなったかだけは覚えている。

妹のウランに見送られ、人類の罪の責任を全て背負い、太陽にロケットで飛び込むアトム……。

あまりにも絶望的なラスト。

この時点で私は手塚治虫という漫画家を決定的に信じる事が出来なくなった。

そしてアンチ手塚治虫という立場を取る事に決めたのだ。

続く。
| 手塚治虫と私 | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |