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手塚前派による、漫画評論、及び活動日記
本家→手塚前派・http://tedukazenha.com/
記号論について
このブログをここまで読まれてきて、記号論とは何か?
と、疑問に思われている方も少なからずいらっしゃるかもしれません。

そこで記号論について簡単に説明したいと思います。
(ただし、ここにおいて説明する記号論とは、手塚治虫が自身の漫画制作において語った漫画記号論であり、一般的な記号学のそれとは異なります)

手塚治虫の記号論とは、漫画は絵というより記号に近いものであるということです。

例えば、円の中に点が二つあればそれは人間の顔と認識されます。
さらにそこに、点の上に二本の棒を加えれば、それは眉と認識されます。
その眉を上下させたり、あるいは角度を変えることによって、表情というものが生まれます。
それによって、怒りや喜び、悲しみを表現することができるのです。

手塚治虫は漫画を書く際に、その対象(読者層)をそうとうに意識しています。

幼年向けには、より丸みを帯びたデフォルメをほどこし、少年向け漫画誌には、より漫画的な描画をアシスタントに指定しています(ここでいう漫画的とは滑稽画として称されるそれに近い表現です)。
さらに青年誌には劇画的な描写を使用し、大人向けには、大人漫画の絵柄をと…それぞれに漫画表現としての記号を使い分けていました。

それはあたかも、手塚治虫自身が戦後漫画の基準であるかのごとく、漫画言語を共通化していく過程のように私には見えました。
そう、手塚治虫にとっての記号論とは、もしかしたら人類の共通言語を作り出しているかのような感覚があったのかもしれません。

しかしながら、手塚治虫の死後、記号論は一人歩きを始め、手塚治虫が想定した以上に拡大解釈され始めたように思えます。

その極端な例として現れたのが、漫画は物語が重要であり、それ以外は記号に過ぎないのだからそれほど重要な要素ではない、という漫画の読み方です。

手塚治虫と私 に書いた私自身の体験を元にした例を見るように、拡大解釈された記号論は、漫画において重要なのはお話であり、絵ではないという考えを多数の漫画読者に持たせるに至たりました。

その絶対的な構図。

例えば、記号論を究極的に具現化するとしたらこのような漫画表現になります。

みなさんはこれを見てどう思われますか?
ただの冗談だと思われるかもしれませんね。

しかしながらこのような方法論が冗談と受けとられないような漫画の読み方が存在しているのです。

この漫画自体はまったくおもしろくありません。
私が意識的に読み手として快楽のポイントを発見することができないように表現しているからです。

ではこれを、視覚的表現はそのままに、大変面白い内容のネームに置き換えたらどうでしょうか?
ストーリーを楽しむという点において読み手の満足感は充足できるでしょう。
でもそれは面白い漫画といえるでしょうか?

図1のような漫画を逆にネームはそのままに細部まで描写された美しい絵に置き換えたとします。
それも美しい絵を鑑賞するという一部分の感覚を満足させ楽しむ事ができるでしょう。
ではそれも面白い漫画といえるでしょうか?

この2つの例は異なるポイントに重点を置いていますが、読み手の満足度を部分的しか満たせないという点ではまったく同列のものです。

そこは理解していただけると思います。

しかし、現在の漫画界において前者は面白い漫画であると認定されますが、後者はつまらない漫画であるというレッテルを貼られます。そういったヒエラルキーが存在するのです。

「この漫画、絵は綺麗なんだけどストーリーが面白くないんだよね」

「この漫画、絵は下手なんだけど、ストーリーが面白いよね」

このような言葉を耳にしたことはないでしょうか?
そしてどちらの言葉が現在、漫画を評価する際の誉め言葉として機能しているか、お分かりいただけるでしょうか?

漫画の魅力としては双方ともに部分的に秀でており、その点において、その評価は同列に置かれるべきであるというのに、実際のところ現在漫画シーンでは後者の方が高い評価を受ける傾向があります。

このことこそが現在の漫画界において、歪曲された記号論によって生み出された、無意識の階級構造の表れではないでしょうか。

続く。
| 記号論について | 14:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |